「トイ・ストーリー4」ネタバレ感想
2019年ピクサー最新作「トイ・ストーリー4」。
9年前、トイ・ストーリー3を観たのと同じ映画館で観てきた。
俺は年齢がウッディの最初の持ち主アンディに近いのでシリーズに対する思い入れは深い。
トイ・ストーリー3までは作中で流れる時間が現実の時間ともリンクしてたので、ウッディたちと一緒に生きてきた感覚さえある。
3は最高傑作。
それも1があって2があったからこその最高傑作。
子供の頃からリアルタイムにシリーズを観てきたからこそ得られるノスタルジックな感動だった。
余談だけどアベンジャーズシリーズは全然追っていなかったので、エンドゲームを観ても始めから追っていたファンほどの深い感動は得られなかった。
ファンがすごく羨ましい。
エンドゲーム公開が迫った一ヶ月前に「アイアンマン」から始まるシリーズを一気観したので、話はわかるんだけど、長年追ってきたからこそ得られる感動はない。
2008年から追ってりゃ良かった。
さらに余談だけどジュラシックワールドもジュラシックパーク世代からするとやばいね。
賛否両論の最新作
トイ・ストーリー4。
賛否両論を呼んでいるのはウッディの最後の決断。
ウッディはボニーと仲間のおもちゃたち(バズでさえ)と別れ、ボーと共に自由に生きる決断をする。
最初、映画館を出た後、複雑だけど、ウッディを尊重したい気持ちが勝った。
なぜか。
トイ・ストーリーシリーズというのは一作目からずっと、「おもちゃの避けられない悲しい宿命」に見てみぬフリをしてきたと思う。
それは持ち主は成長し、やがていなくなるということ。
そして、おもちゃはおもちゃのままで、それ以上の行き場がないこと。
最高傑作の3でさえその宿命から逃れていない。
ウッディたちは新たにボニーの手に渡ったものの、やはりボニーも時が経てば成長し、おもちゃたちはいずれ遊ばれなくなる。
3は深い感動を呼んだ。
でも、その宿命には見てみぬフリをした。
悪い言い方をすれば、ボニーの元に行くというのは問題の先送りでしかなかった。
向き合ってみると、おもちゃの人生というのはなかなか酷で、絶望的でさえある。
「A.I」「アンドリュー」「トイ・ストーリー」に共通する、大切な人を失い続ける苦しみ
苦手な作品がある。
つまらないとか不快だからじゃない。
悲しくて怖くて苦手なのだ。
それが「A.I」「アンドリュー」などの「永遠の命を持った主人公が、時の流れに大切な人を失い続ける」作品だ。
ずっと前に見て、印象にはずっと残ってるけど、もう一度見ようという気にはなれない。
2作品とも、主人公はロボットなので年を取らない。死ぬこともない。
でも周囲の人たちは年を取っていく。死んでいく。
主人公より見た目の幼かった子どもも、みるみる大人になり、結婚し、子供ができ、シワが増え、最後はベッドの上で主人公に看取られる。
主人公は何も変わらず、その先も生き続ける。
人間の一生はロボットにしてみれば一瞬なのだ。
どれだけ大切な人が出来ても、ロボットと人間の関係は永遠には成り立たない。
世界も変化する。
終いには人類さえいなくなったりする。
まったく新しい生命体。海底に沈むテーマパークの看板。
無情な時の流れに絶望しかなかった。
ロボットの身になってみると寂しくて怖くてたまらない。
この手のロボット作品に通じる無情さがトイ・ストーリーにもある。
ウッディはおもちゃなので年を取ることもない。
でもアンディは成長する。ボニーも成長する。
どれだけその持ち主を好きになっても、いずれ別れの時は来る。寿命を待つまでもない。彼らが少し大人に近づいたらそうなる。
ウッディはその繰り返しを続けていくのだろうか?
大好きな持ち主との出会いと別れを何度繰り返せばいいのだろうか?
その先にゴールはあるのだろうか?
考えれば考えるほど絶望感しかなかった。
その意味で、4はいよいよその問いに、見て見ぬ振りをしてきた現実に解決策を出したんだと思った。
それは、持ち主のためではなく自分のための選択をするということ。
ウッディは自由に生きることにしたのだ。
しかし。
セクハラ問題のゴタゴタでこんな脚本になったんじゃないか
汚い見出しですみませんね。
4のテーマ、ウッディの決断。
言いたいことはわかる。
でも脚本は良くなかった。
「言いたいことはわかるけど納得できない」のは、脚本に説得力がないから。
ウッディの心境の変化が3ではきちんと描かれていたのに、4ではついていけなかった。
作品の中だけで右往左往しても埒が明かないので外に出てみる。
トイ・ストーリー4の脚本は、トイ・ストーリーの生みの親、ジョン・ラセターのセクハラ不祥事と脚本家二人の降板の後、その4分の3が書き換えられている。
ジョン・ラセターが去った後、シナリオチームに新しく入った無名の脚本家は以前MARVELとなんらかのトラブルを起こしており、途中参加した「マイティ・ソー バトルロワイヤル」の脚本にはクレジットされていない。
なんでそんな人間を脚本チームに迎えたのか知らないけど、ウッディの心境にこっちがついていけてない時点で、出来上がった脚本が洗練されていないのは明らか。
俺はその原因が制作チームのゴタゴタにあったんだろと邪推する。
似たような監督降板劇のあった「メリダとおそろしの森」も脚本が洗練されておらず、ピクサーにしてはハズレの作品だったから。
そもそも脚本をほとんど書き直す必要あったのか。
「セクハラ野郎の書いた汚い脚本なんて映像化してらんない!」ってか?
ジョン・ラセター案の脚本がよっぽどひどかったのか、それともジョン・ラセターの罪を作品にも背負わせたのか。
前者はありえないし、後者ならひどい。
4分の3書き直しって。
他のピクサー作品ならまだ良い。でもトイ・ストーリーはジョン・ラセター案の脚本で観たかった。
真偽なんてわからないから想像でしか言えないけど、ジョン・ラセターの書いた脚本がどんなだったかも知りたい。
そこにウッディの心境の変化について、納得できる答えがあるかもしれない。
ボー・ピープはあまり好感を持てなかった
ウッディの恋の相手、ボー・ピープ。
彼女がウッディをただけなすだけのシーンがある。マジで何のフォローもなくけなされる。不快感と違和感ありのありだった。
またボーには葛藤がない。すでに人生について答えを出しちゃってるので、主人公のウッディが影響を与えることも特になく、一面的に強い女性として描かれる。
ウッディがいなくても生きていける感がすごいので、ラストの決断でバズたちとの天秤にかけるには魅力に欠けてた。
セクハラの影響もあって不必要に強い女性にされちゃったのかなーなんて思ったり。
バズもひどい
バズの皮を被った新キャラ、というくらいキャラが変貌してる。
今までのシリーズでも記憶を失ったり自分をおもちゃだと思ってなかったりイタリア人になったりするのが恒例だったけど、今回は普通の状態のバズがそもそもおかしい。
ウッディを助けに行くかどうかさえ、内なる声を聞かなきゃいけないギャグキャラと化している。
新キャラでやるなら面白かったけど、バズでやることじゃねーよ。
おかげで二人の絆の重みにも影響があり、シーンが軽くなっている。
まとめ
制作の裏側で何があったかなんて知りませんけどね。
とにかくトイ・ストーリー4について言いたいのは、
なんでジョン・ラセターセクハラしちゃったんだよっていうことです。