伝説のトップモデル、山口小夜子さんの紹介です。
日本人パリコレモデルの門を開いたとも言われる山口小夜子さんですが、その活躍は図りしれず、あのマツコ・デラックスさんにも影響を与えています。
またその晩年や夫はどうだったのでしょうか。
ということで、今回は「山口小夜子がマツコに与えた影響は?晩年や夫も調査」というお題で調べてみました。
山口小夜子がマツコに与えた影響は?
山口小夜子さんはどのような影響をマツコ・デラックスさんに与えたのでしょうか。
2017年に放送された深夜番組で、「マツコ・デラックスに影響を与えたモデル」として山口小夜子さんが紹介されています。
マツコは幼少時、山口さんが写る資生堂のポスターを見た瞬間、あまりの美しさに「何かが開眼」し、「悔しかったら、ここまであがってきなさい」と言われた気がしたそうだ。
記事によれば、山口小夜子さんの映る資生堂のポスターを見て、マツコ・デラックスさんは何かが開眼したと語ります。
女装家としての美学に何か響くものがあったということでしょう。
確かにマツコさんの風貌は、普通のおじさんが単に女装しただけ、というようには見えません。
それだけだと汚らしい印象しかありませんが、マツコさんにはどこか上品さのようなものがあります。
きっとポスターを見ただけでもわかる山口小夜子さんのモデルとしての哲学、美学に、マツコ・デラックスさんも大きな影響を受けたということでしょう。
一方で昨今の日本女性にはマツコ・デラックスさんは厳しい声を上げており、「最近街にブスが増えた」と語っています。
その原因を韓国から流行した赤い頬紅、真っ赤な口紅などが特徴のオルチャンメイクだと指摘。
山口小夜子さんのしっかりしたアイラインやリップと比較する声もあり、大きな賛同を呼んでいました。
山口小夜子の晩年は?
山口小夜子さんの晩年はどうだったのでしょうか。
山口小夜子さんは年に 1949年9月19日に生まれ、2007年8月17日57歳という若さで亡くなられています。
山口小夜子さんは孤独死でした。
死去のわずか一週間前には遺作となった出演映画「馬頭琴夜想曲」の木村威夫監督とも会っており、その時の山口さんの様子を監督は「体調が悪い様子ではなかった」と語っています。
いかに急逝だったかが伺えますね。
死因は急性肺炎で、数日連絡が取れなくなった後、自宅で亡くなられているのが発見されました。
伝説のモデルと呼ばれた山口小夜子さんにはあまりに寂しい結末ではないでしょうか。
とはいえ、山口小夜子さんはプライベートに多くの謎を抱えながらも、著名な写真家や一流デザイナー、女優たちから支持され、今でも愛されています。
また、晩年である2003年には映像作家の生西康典さんと共に、様々な芸術が一体となったパフォーマンスを展開したり、2005年には写真家の高木由利子さんと雑誌やWEBサイトで「蒙古斑革命」を連載。
蒙古斑革命は山口小夜子さんが東アジア人としての自身の出自を、ありのままに受け入れ向き合う、壮大なプロジェクトでした。
山口小夜子の夫は?
山口小夜子さんは生涯独身であり、夫はいませんでした。
これは晩年の孤独死にも繋がってくることではありますね。
なぜ独身だったか、ということについては2つの説があります。
一つはデザイナー山本寛斎さんとの不倫が長引いた、という疑惑です。
無名だった自分が山本寛斎さんに見出され、そこからキャリアが一転したという山口小夜子さん。
山本寛斎さんに拾われなければモデルを辞めていた、と過去のインタビューで語っています。
それだけの恩人に仕事よりも深い感情が湧いても不思議ではないと思います。
近々の例だと浜崎あゆみさんと松浦勝人さんの件が思い浮かびました。
とはいってもこのことに確かな証拠はありません。
もう一つの説は同性愛者だったというものです。
山口小夜子さんが出演した作品(演劇:チャイコフスキー殺人事件など)で同性愛を扱ったものが多かったから、というのが根拠です。
女性から憧れられる格好良さを持った人なので、中性的な魅力があったことは間違いないですね。
あとは個人的な予想ですが、そもそも結婚というものに対して興味がなかったという可能性もあるのではないでしょうか。
山口小夜子さんはまさに自立した女性像という印象で、確固たる自分があって人生を生きたのだと思います。
なので結婚に対しては否定も肯定もなかったのではないか、と思いました。
まとめ
ということで今回は「山口小夜子がマツコに与えた影響は?晩年や夫も調査」と題して、
伝説のモデル山口小夜子さんがマツコ・デラックスさんにに与えた影響、晩年や夫も調べてみました。
それではここまでお読みいただきありがとうございました。